ひとりまいご

 もうずっと昔に敷き詰められた石畳の並びすらも覚えてしまうほど、馴染みのある場所だと思っていたのはどうやら錯覚だったらしく、そうのようなことを思うのはとんだ傲慢だったと私が気付いたのは、駅前に商店街にべたべたとポスターの貼られる花火を待つ、干支の三度めぐるくらいの年月この街に暮らしていたがどういうわけか縁がなかった、と思うことにしている、その、祭りを待ちわびる空気、街のなかの人間と街の外の人間が区別なくその熱に浮かされたようにわらわらと集まる雑踏のなかだった。
 さて、私がどうしてそれまで、おそらく死ぬまでの道を半ばまで過ぎたころにようやく、その人混みのなかに紛れることをしたかというと、そうではなかったことに理由がないのとまったく同じくらいの道理でもって、まるで、それらしいものなどなく、つまるところ私は周囲の人間が浮かれているなかで自分のプライドかあるいはそれによく似た自己評価を著しく低く見積もりなおさねばならなくなってしまったことに万人の納得するような説明付けはできないわけであって、とはいえ、それをわざわざ求める相手もおらず、結果、私の私に対する理解がこれだけ生きてきてまるでなっていないとそういうことをただ私が把握したわけであった。
 それでも石畳のざらついた感じは私の足裏に確かにそれが私の知覚しているものと同一であると告げていた。慣れないことをするものではないな、と思うも、そうするだけの理由がなくなんとなくそこに立つことになった私にはなにもかも今さらでしかなかった。
 私は私の周囲にあふれている人間を見るとはなしに眺めていて、彼らのほとんどが一人ではないことを発見した。知った顔よりも知らない顔のほうが余程多かったが、それは地域興しの一環として街を通る路線のいくつかの主要な駅に例のポスターが貼られていることからも道理であった。彼らの大抵は彼らの知った顔を携えて、夜を歩いているようだった。私はひどく疎外された気分だった。私がそう思わなければならなかった理由にはいくつか思い当る節があって、原因のはっきりとしたものには安心感があるからそれ自体は構わなかったが、それによる結果は私にとって愉快なものではなかった。
  足下がぐらりと揺れた、気がした。それが気のせいであることはわかっていた。そういうふうに思った、そういうふうに感情が動いた、けれど、現実にはなにも起こっていない、ただ私の頭の確かな不調だけがそこにはあって、それを把握できるのは私だけだった。
 彼らの目的は一致していて、ひとの流れが一つの指向性を持ったとき、ああ、もう間もなくそれがはじまるのだ、と私は理解した。
 こちらの覚えは正確だったようで、私は私の記憶の完全な敗北からはまぬかれることができた。定刻に花火ははじまった。ひゅうという音を背中に聞いて、どんという音を頭上に仰ぎ、そうして、私の後ろには雑踏がある。私を知らず、私を揺らがせ、それでいて知らぬ顔で私を置いて行く、雑踏がある。私が一人でいるのに彼らは一人ではなく、たとえ連れがいない彼らでもそれを待ちわびる風景に溶け込んでいて、そうするのが当然のように世界に組み込まれていて、ただ、私だけが一人だった。
 ひゅうという音を背中に聞いて、どんという音を頭上に仰いだ。
 そこには、雑踏がある。

170401 ひとりまいご

百人一首アンソロジー さくやこのはな 参加作品
〇四六 由良の門を 渡る舟人 かぢを絶え ゆくへも知らぬ 恋の道かな
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