NOVEL
- ↑old
- 紅と煙草
鏡面は滑らかである、と思う。男は無言のまま、そこにいる己の姿を眺めていた。長く鋏を入れていないせいで
- プラットホーム
単身赴任の身であるので、家族と過ごす時間は同年代の男よりは少ないだろうと思っている。会うことに時間を
- 雨の予感
嗚呼、厭だなァ、と思う。長く雨が続いているのはこの時期が梅雨であるからで、慢性的なそれに湿り気を帯び
- たとえば、静かなる熱情(欠番)
データが飛んでタイトルだけが残っていたのでタイトルを置いてみました。
- レゾンデートル
胸元にやった手が目的のものを探し当てられなかったことからどうやら時刻表を忘れたようだ、と青木秀介は思
- 蒼い眼胞のメアリ
その子供を拾わなければあなたはこう早死にせずに済んだのに? ……何を莫迦なことをおっしゃっているんで
- 暗がりのねこ 一 二 三 四 五 六
香具山海月は孤独の味をあまり知らない。夏の短い夜でさえ、独りでいれば息苦しさを感じた。閨で過ごす孤独
- エトランゼ
葬式は現実味がなかった。遺影は、彼女の最期の顔とあまりにも違った。微笑したその顔は綺麗と云って差し支
- 矢谷博士と助手島木
「――爛熟した果実ほどうまいものはないよ、島木君。」私が博士の助手をするようになってもうそろそろ十年
- ベターハーフ
(前略)ここまで書いたところであなたに断らねばならぬことを思い出しましたので、こうして、置き掛けたペ
- 深い、青の世界に沈む君の残骸
長く冷房に当てられたせいか、冷え切った足をあたためようと胸元に引き上げると、数時間前に剃刀をあてたは
- ファッキンスルーユー 上 中 下
オーケイ。状況は最悪。そんなことは充分すぎるほどにわかっている。状況は、最悪だ。俺はいたって冷静だが
- 少女A
その景色は凄惨と称したところでさしたる問題はあるまい。弾痕から生じた罅が白い壁をわずかばかり破壊して
- 愛の飛沫感染
私と彼が最後に顔をあわせてから、季節は二度目の夏を過ぎようとしていた。私は生温い快楽の只中にいる。私
- 告げませ邪説の堕落の女神
夫と息子が事故にあったという。受話器の向こうで恐慌にある声を聞きながら、私はやけに冷静だった。病院の
- ソジーの錯覚
見下ろした彼女は乱れた白布の上で大理石のような白い膚を晒している。仰臥して広がる色素の薄い頭髪は汗に
- プラネタリウム
秋の入りだった。昼間の熱が冷めた白浜はひどく閑散としており、盆前の賑わいが嘘のようであった。母方の実
- ヴェアター
煙草を切らしていた。視界の隅を蠢く何かに気をとられ、自販機の前に立ちながら首を右にひねり下方を見た。
- トーキョー・クラシック
潮の香りがしたから、ここは海に近いのだろう、と南波湊は思った。彼女は武骨なコンクリート造りの、六メー
- ロマンチスト
帰宅するなり、私は花瓶を探した。普段使わないものを適当に片付けてしまう倉庫に入る。無造作に置かれた風
- K
そのロケィションに何を求めたのか、あとになってしまえば甚だ疑問であるが、夏木麻子は保健室の敷居を跨ぎ
- 糠る海
世間的には夏木麻子の母の死はやはり事故であった。母の死後、父は色のついた服を着なくなった。共働きであ
- ある春の死
先週、祖父が死んだ。元々、私と祖父に熱心な交流はなかった。私は父方の血縁は何かと反りが合わず、彼らを
- 十八番街椿屋敷
ゆきこさん、と呼ぶ声がした。夕方の買い物は近所付き合いの延長だと、私は思っている。私たちの暮らしてい
- 生け贄の羊
世の中は策謀に満ちている。弱いものは服従するか抗戦の後に滅びることを定められている。私がそれになった
- 朱の暗澹
だいぶ傾いた陽の中で、薄闇に長く影を落としたその老婆を見たとき、直ぐさま私の頭に浮かんだのは、デフア
- マンホォルガァル
放課後。夕暮れ。三鷹駅。駅のロータリーに溢れる人とその熱気。濡れたアスファルトにティッシュに抱かれた
- 青を刺す
そののちに、私は彼と深く関係を持つことになるのだが、そこに発展する理由にそれを挙げるつもりなどはさら
- 冷たい温もり
キレイな体で嫁に行きなさい、とは今ではあまりうるさく言わなくなったらしいが、彼に出会ったとき、すでに
- コミュニケイションコンプレックス
春木美津子が若くして死ぬことは早い話彼女が生まれた瞬間からすでに決まっていたことであり、彼女の周囲に
- 水のないプール
泳ぎに行こうか、と彼が言った。私の通う高校はいわゆる進学校というものであったが、実際、知識を得ること
- 死望時刻
ここに居ることをやめようと思っている。夕刻にはまだ早いころだった。今日は目を使わないで欲しい、彼女が
- 帰郷
留守録が入っていた。あの男がまた、地上に出るという。世界は至極唐突に、地下へ潜ることになった。核拡散
- デルタ
リビングの床面積を大幅に消費しているそのソファは、彼が気に入って買ってきたものであるが、確かに、ひど
- 週末
義姉は相変わらず彼をそう呼ぶので、彼は浅い溜め息を吐きながら返すのだが、「三十路控えた男にあっくんは
- アロワナ
男の本名が須賀尚孝であることを女はずいぶん長い間知らずにいたが、重要なのはそれではなかった。女にとっ
- ひかりさす庭
蝶が好きだ。いつごろからそう思うようになったかは記憶にない。ただ、存外に黒い眼か、脆弱な翅か、奇妙に
- メイドイン子宮
仕事の関係上頻繁に地方を飛び回るせいか、種々の抑揚が曖昧に混ざる藤間の喋り口調が好きだ。相変わらず定
- 二号室
内壁を擦るのであった。その何とも言い難い形容をした肉の、型をとるように纏わりつく私の内臓を不随意に蠢
- かふの跫
単純な直線ばかりで構成されるそれは今では随分とめずらしくなった代物であった。彼は赤錆を全身に纏い、足
- 鉄道沿線の堤防
電車でひと駅かふた駅という距離は、義務教育も終盤に差し掛かる田舎の中学二年生からすればちょっとした遠
- バベル
継ぎ目のない平面は乾いているのにじっとりとした冷たさで私の指先を迎えた。唇に這わせる舌は罅割れたそこ
- 追憶の朝
幾何学的である。肩胛骨の上あたりから、肩を越える形で鎖骨までを、青が走っている。制服に透けるその気配
- たまゆら
鳥居、と言ってしまって構わないだろうか。ここしばらくの休みは、レポートのネタ集めにふらふらと歩きまわ
- 殺人期と喪の軌道
博士は喪服が似合う。私の見る限り、博士こと、矢谷蒼二郎は相も変わらず出不精の偏屈な男であった。情報技
- 冬の芽吹き
通夜の提灯だとか、ガードレールに凭れる花束だとか、その傍らにあるコーヒーの缶だとか、線香のにおいを纏
- 幸福の虚妄と堆積する韜晦
塗装の剥げ、ところどころ赤く錆の浮いた金属は、触れるとざらついた感触を指先に残した。無骨なコンクリを
- 完全なる飼育
私の左腰の、骨盤を触れる上、鳩尾にかけてのなだらかな起伏に居座るその流麗な墨は確実に彼女の遺作だと思
- バルコーネ
私が独り暮らしをはじめたのはもう二年も前で、この建物に居を構える人間がいささか物騒な類で占められてい
- 拒舌
提案ですらなかった。別れよう、と有無を言わせぬ口調でつぶやいた彼は、そこに至った経緯をさながら独り言
- 戦場の狗
抱き起こすと低く呻いた口唇から精液のにおいがした。つまりはそういうことなのだと思った。少々の酒では酔
- 夢見の篝
夜半に雷鳴で目を覚ますと、ほどなくして雨音が聴覚を埋めた。途切れぬそれをしばらく聞いていたが、慣れて
- オリーヴのパスタ
火曜日の六時過ぎにその駅に着いて少し歩調をゆるく歩けば、仕事上がりでアパルトマンに帰る途中の不破に出
- 管
白い皮膚に淡蒼く浮かんだ管はやわらかく膨らんでいる。暮れ方の人にあふれた車両は各各の呼気のせいで湿度
- 雨の日とかさと男と男
「僕はかさというものがいっとう好きでね」折り畳み傘を持っていなかった。まるで雨の降りそうにない天候の
- 非暴力的恋愛惑溺症候群
ランドセルは赤色をしていた。当時はカラーバリエーションはほとんど二択で、その濃さや深みの違いだとか、
- 畫工の家
その男は少なくとも、彼の表情を険しいものにする程度には薄汚れた格好をしていたし、およそまともな職につ
- 次は三途の向こう岸
やわらかく湿った砂にずうと続いている足跡は、その大きさ、沈み方と歩幅などから推察するに一組の男女によ
- 春が来なかったら
僕が死んだら泣いてくれますか、と傭兵が真顔で問うてきた。医者は空気のにおいを軽く嗅いだ。血のにおいは
- 月の舟
緊張した手のひらの、皮膚が、他人の皮膚に触れている。薄皮一枚隔てた向こうで生を主張しているのはそれで
- 朝から冷たい雨の降る金曜日
交通機関の混雑は重篤であろうと思った。まず高校生である。そして勤め人である。沿線には複数の学校があっ
- いとおしいものもの
外観からして然程の大仰さはなく、あまり部屋数はないようだったが、独り身の男が暮らすには充分だろう、と
- アリキリ
生成りのシャツに濃い灰色のカーディガンを重ね、くたびれたジーンズを履いた痩身の男である。長躯はしかし
- 向日葵に倣って
「亜硫酸瓦斯を噴霧すると、夕焼けが血のやうに」男は其処で一度息を継いだ。「お前の好きな色に、だが、星
- あおはる
黄昏時に降りはじめた雨は止む気配を見せなかった。粉糠雨であった。村瀬藍はビルの縁からの雨垂れをやり過
- 私はもうアパートにはいない。
「那賀川浩宇です」「甲埜です」「知っています」男――那賀川は古い写真を持ち出してきた。そこには、丁度
- 君のいない窓辺
どうやらタイマーの設定を失敗したようで、一晩中稼働していたらしい空調の音が耳についた。咽喉が乾いてい
- ヴァン・シニー(『海洋学』)
その紳士は、今日は何の話をしましょうかとしばらく悩む素振りを見せたのちに、小さく切った肉を口に運び、
- 車掌は凛と怒鳴る(『海洋学』)
ゆるくたわむ電線の雨垂れの連なりが、ある間隔で落下するのを眺めている。霧雨にけぶる景色はひどく寂れて
- 砂漠の花に朝露を
酒を飲みつけた翌朝のねばついた唾液を感ぜる渇いた口腔に流し込んだ水はやはり水道水で私にしみていくのは
- 土
田舎の暮らしをしていると雨の降ることが鼻先でわかるようになるもので、かつて兄たちがそうであったように
- 水
わたしの前であの人が泣いたのは知る限りその一度しかなかった。実家で、ずっと飼っていた犬が死んだのだと
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